公益財団法人 広島平和文化センター国際市民交流課

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vol.1 米山ジョウジより

 
2020年秋に始まった「へいわこうえん日本語教室」

ごく入門レベル(ひらがな・カタカナから)の日本語を学んで日本語を使ってコミュニケーションをとれるようになり、地域の中で日本人と助け合いながら暮らしていく第一歩を踏み出すことを後押しするコースです。 その記念すべき1期生として、日本語を学んだジョウジ君。なんと教室卒業の4カ月後の春、地域コミュニティ支援など社会貢献事業も行う介護事業所の特定非営利活動法人「もちもちの木」で、介護職として働き始めました。

そんなジョウジ君の来日からの苦労、奮闘、様々な人との出会いと飛躍について聞きました。

  
 ジョウジ君はいつ日本に来たのですか?

 

 2019年の秋です。母はフィリピン人で僕もフィリピン育ちだから、日本語はほぼ話せなかったのですが、日本人の父が広島にいたことがきっかけで来日しました。

 


 2020年の年明けからは、新型コロナウイルスで世界中が混とんとした状況になりました。ジョウジ君も大変ではなかったですか?

 

 そうです。その時はまだ僕は日本に来たばかりで、まだ日本語も理解できない。だから、日本のコロナの状況もよくわからないので、とにかく家からほとんど出ずに、家族以外の人との接触がない毎日が続きました。

 2020年の9月に僕がへいわこうえん日本語教室を訪ねた時、初めて(広島市にほんごデスクのスタッフと)話しましたよね。実は、家族以外の日本人と話すのはその時が初めてだったんです。

 
 そうだったの!? 春も夏もほとんど誰とも話さなかったんですか!? それは寂しかったですね… へいわこうえん日本語教室に来てくれたきっかけについて教えてください。

 


 家からあまり出ませんでしたが、ずっとそうして働かないわけにもいかないので、その間もオンラインで仕事の面接は受けていました。フィリピンでは工学系の勉強をしていたので、父の助けで車関係の整備の仕事などに応募してみました。

 


 日本語が通じないのにオンライン面接?

 


 うまくいきませんでした。笑
それで、日本語を勉強した方がいいと思って、広島平和文化センターの日本語教室に通い始めました。先生が分かりやすく丁寧に教えてくれたし、書道体験、お好み焼きミュージアムの社会見学とお好み焼き作り体験など、文化に触れながら楽しく勉強できたのがよかったです。

 一番ありがたかったのは、僕たちの教室に広島の一般市民の人がサポーターとして参加してくれたことです。先生やスタッフは外国人と「やさしい日本語」で話すことに慣れているし、外国語(僕の場合は英語)でも助けてくれるので、話すとき緊張しません。でも、街や職場で出会う人と話すときは違います。あの頃はまだ、日本語で話す度にかなり不安だったんです。でも、サポーターさんとの会話練習で、「おお、僕の日本語通じた!」と実感できて、少しずつ自信になりました。

 

教室初日。左端の白いシャツがジョウジ君
日本語教室の課外授業で習字を体験するジョウジ君
受講生が市民の日本語ボランティアと会話を練習する様子

 なるほど。「普通の日本人と話す経験」がよかったのですね。実はサポーター制度は、「日本語ボランティアになりたい」人の研修(おもに日本人の研鑽)のために行っているので、日本語学習中の人にもそんなメリットがあるなんて、スタッフの私にも新しい発見です。笑

そのサポーターとして参加していた井口さんと出会ったのが、地域の日本人の方と関わるようになったきっかけだったんですよね。

 

 はい。私は普段はへいわこうえん日本語教室ではなく、安佐南区の沼田公民館で「沼田日本語ボランティアグループ」の地域の日本語ボランティアとして、外国人のみなさんに日本語を教えています。自分のスキルアップのためにへいわこうえん日本語教室にサポーターとして参加した時、ジョウジ君と出会いました。

 せっかく出会ったのに、ジョウジ君は「来月からはあまりへいわこうえん日本語教室に通えなくなります。会えなくなります」と言って残念がっていました。2020年11月の終わりくらいでしたかね。

 
 そうそう、2020年12月からジョウジ君はあまり来られなくなったんですよね。どうしたんですか?

 

 そのころアルバイトが見つかったんです。コンビニのお弁当などを詰める工場で働くことになりました。夜勤の仕事で、夜10時出勤、3時間働いて1時間休憩をはさみ、さらに3時間仕事、朝5時までの仕事です。へいわこうえん日本語教室はシフトの翌日だったので、眠くてしんどくて…

 
 それは結構しんどいですね… へいわこうえん日本語教室のクラスメイトのインド人の女の子も同じ工場で働いていましたよね。外国人の人が多いですか?

 
 はい。結構います。ベトナム人とか多いかな。日本人があまり好まない仕事でもあるし…日本語を話さなくてもできるので、外国人の人も多いです。でも、工場での単純作業にも、やっぱり同僚の人と話が出来る日本語能力があった方がいいですよ。日本人同士やベトナム人同士、仲がよさそうな人もいましたけど、僕はフィリピン人1人、ひたすら黙々と仕事しました…

 

 がんばりましたねえ… へいわこうえん日本語教室には来なくなったけど、井口さんたちとは交流を続けていましたか

 

 はい。ジョウジ君は2020年12月頃から、へいわこうえん日本語教室からバトンタッチする形で、私たちの教室に参加し始めました。

 

 沼田日本語ボランティアグループの代表の黒瀬です。補足しますと、そのころは2020年の年末でしょ。コロナの影響があって、会場として使っている公共施設もお休みが続いていましたから、教室はオンラインでした。

 

 地域のボランティアによる日本語教室は市内に20か所以上あるのですが、私が知る限り、コロナ禍でも唯一オンラインで開講を続けたのが沼田日本語ボランティアグループだったと思います。その点に関してはどうですか。

 
 日本語学習が途切れずできることは大切なことなのですが、それと同じくらい、外国人のみなさんの不安に寄り添うことが大切だと思っています。みなさん故郷の家族と離れて日本に住んでいたり、日本語のコロナの情報を受け取るのに不自由だったりしますから、日本人以上に心細い面もあるでしょう。オンラインだとしても、とにかく顔を見てお互い無事を確認しあって、他愛もない話をすることが重要だったんです。

お話を聞かせていただいた際の3人。右から、黒瀬さん、ジョウジ君、井口さん。

 

 黒瀬さんから「ブラジルの人とスマホでビデオ電話した」といったエピソードを聞くことがありました。

 


 親戚がブラジルに移民をして住んでいるんです。医療の道に進んだ者や現地の首長になった者もおります。あちらの社会で受け入れられてがんばっていますよ。広島は移民が多い県(※移民者数全国3位)ですから、外国とはそういうつながりもあるんですよね。

 
 距離やコロナの問題で直接会えなくても、あらゆる方法を駆使して相手と繋がろうという姿勢を感じます。

広島からもたくさんの人が世界に渡り、現地の人に受け入れられてお世話になっているわけですから、同じように世界から来た人の力になりたいですよね。

御年85歳(!!)の黒瀬さんがオンラインを使いこなして外国人のサポートを続けられたことに正直驚くのですが、そういうお気持ちあってのことなのではないかと思います。

 

 教室をオンラインですが続けていたので、私がジョウジ君を教室に誘ったときも、「今は休止中です」と言わずに受け入れることが出来ました。数カ月オンラインで授業を続けて、2021年3月にやっと対面であえた時は嬉しかったですね

 

 私はジョウジ君が2020年末にへいわこうえん日本語教室を卒業したあとしばらく会っていなかったんです。2021年4月にあって話をしたとき、ジョウジ君から「来月5月から転職して介護の正社員として働きます。」と聞いて驚いたんです。そこでも沼田日本語教室の黒瀬さんと仲間の方たちが力になったと聞きました。

 
 工場の夜勤の勤務をこなすのもとても偉いんですけれど、彼を見ているとちょっとしんどそうだと思って。

 

 何が大変でしたか?

 
 夜間で立ちっぱなしとか、体力的な辛さもありましたが、ベルトコンベアの流れ作業の途中で次々手早くこなさないといけないし、言葉の壁もあって、間違ってもラインの次の人にコミュニケーションしてフォローも出来ない… 日本語に苦手意識がある自分には、その精神的なストレスが辛く感じました。

 
 ジョウジ君は学習態度も真面目で、上達も早いので、希望する仕事があるなら応援したいと思いました。

 
 実は母も姉も看護と介護の仕事をしていますので、僕も少し関心がありました。

 
 真面目で末っ子気質の人懐っこい性格だし、向いていそうだと思いましたね。

それで、沼田日本語ボランティアグループのメンバーの1人が広島県の福祉課に何回も出向いて情報を入手して、介護分野に強い人材派遣会社の面接に漕ぎつけました。別のメンバーは、ちゃんと「失礼します」と言ってドアを開けて部屋に入るといった面接に向けた練習に付き合ったり、協力して取り組みました。結果は残念だったのですけれど。

 


 えー! 地域の日本語教室で採用試験のサポートまでされたんですね… 普通の親子より親身じゃないですか…

 


 だって、異国で自信がない言葉で面接を受けるって、やっぱりとても心細いでしょ。ただ日本語を教えるのが目的ではなく、その日本語を使って、その人の生活が安定したり幸せになってもらって、そして私たちと一緒に暮らしていってくれることが最終目標な訳だから、「日本語を教えていればいい」だけじゃないと個人的に思っているんです。

 日本語教室の外国人の先輩は日本社会での生活や仕事探しの先輩でもあります。私たちも出来る限り力になります。人との出会いから道が開けるといったことも、地域の日本語教室の役割の一つだと思っています。

 
 その通りですよね。黒瀬さんたちは教室内で日本文化や四季を感じられるテーマや親子参加型のイベントをされたりしています。私たちのへいわこうえん日本語教室が、コースに文化的なアクティビティや地域の日本人との交流を盛り込んでいるのも同じ意図があります。加えて、日本語を学んだ次のステップにつながるお手伝いも必要だと感じています。そのために、皆さんのような地域の日本語教室を始め、様々な人や機関と連携しておくことが必要ですね。

 


 1社目は落ちましたが、2社目の「もちもちの木」に合格して、今そこで働いています。黒瀬さんのお知り合いから紹介されて、黒瀬さんも付き添いで来てくれて、面接を受けました。もちもちの木はグループホーム、デイサービスという介護事業に加えて、地域コミュニティ支援事業といって地域活動の支援や居場所づくりをしているのが特徴です。

 それまで日本語のコミュニケーションを避けながら生活や仕事をしてきましたが、みなさんのおかけで日本語もだいぶん上達しましたし、なにより日本人と話すことに慣れて徐々に自信がつき、コミュニケーションの仕事でも大丈夫だと思えるようになりました。介護の仕事は大変なこともありますが、利用者さんの役に立って、直接「ありがとう」と言ってもらえる、とてもやりがいがある仕事です。

 

 もちもちの木で働き出して1カ月目くらいにあった時、「一番難しいのは利用者の名前を覚えること。名前の漢字って難しいなあ」と言っていたのが印象に残っています。笑

 
 最近は仕事だけじゃなくて、同僚の結婚パーティーに呼ばれたり、地域の人と人とのつながりを作る地域コミュニティ支援事業として運営しているシェアハウスに引越しして私生活も自立し始めました。どんどん人生が前に進んでいます。

 


 はじめてへいわこうえん日本語教室で会った時、内向的な感じで英語で話したジョウジ君がこんなに成長したことに驚いています。努力家で色々な人に相談できる人懐っこさを持つジョウジ君を、次々と適役な人(行政、市民、地域企業)が支えていった連携プレーでしたね。

 最後に、ジョウジ君のこれからの希望や夢を聞かせてください。

 
 もっと利用者さんの支えになりたいので、介護福祉士の資格を取ってできる仕事を増やしたいです。そのために、日本語の勉強も必要です。1人で努力を続けるのはつらいですが、沼田日本語教室に通って一緒に勉強する仲間と励ましあったり切磋琢磨しながら頑張りたいと思います。自立して新しい生活も始まったので、もっともっとエンジョイしたいとも思っています。

 

 素敵なお話が聞けました。ジョウジ君、黒瀬さん、井口さん、今日はありがとうございました。

人生で躓いたり悩んだりしている外国人市民のみなさん、ジョウジ君の話を参考にしてみてください。また、周りの日本人にも相談してみましょう。黒瀬さん、井口さんたちのように、やさしくアドバイスしてくれる地域の日本語ボランティアもいます。私たち「広島市にほんごデスク」や「広島市・安芸郡外国人相談窓口」も、利用することができます。みんな、外国人市民のみなさんの力になりたいと思っています。
 

 

【参考情報】 いつでもお気軽にお問い合わせください。

・地域の日本語ボランティア教室の情報   → こちらから

・広島市にほんごデスクのFacebookページ  → こちらから

・広島市・安芸郡外国人相談窓口のページ → こちらから

※広島市・安芸郡外国人相談窓口は、日本語だけでなく、母国語(英語、中国語、ベトナム語、スペイン語、ポルトガル語)で相談できるスタッフがお待ちしています。

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