ハノーバー市の紹介
広島市の姉妹都市
ハノーバー市(ドイツ連邦共和国) Hannover
姉妹都市提携年月日
昭和58年(1983年)6月27日(広島市議会承認の日)
姉妹都市の日
5月27日(姉妹都市提携調印日)
令和5年度広島市姉妹・友好都市の日記念イベント 「ハノーバーの日」レポート
基礎データ
◇ 市 長 Belit Onay(ベリット・オーナイ)(2019年11月就任)
◇ 人 口 約54万人(2019年7月)
◇ 面 積 約204㎢(広島市の約0.2倍)
◇ 位 置 ドイツの北部ニーダーザクセン州、ベルリンの西約250㎞に位置
◇ 気 候 緯度は北海道より高いが、暖流のため比較的温暖
プロフィール
ハノーバー市はニーダーザクセン州の州都で、周辺20市町村を加えた大都市圏の人口は約106万人です。18世紀に英国国王も兼ねたハノーバー王家の王宮庭園が残る優雅な街です。
第二次世界大戦中、88回もの空襲を受け、都市の60%が破壊されました。しかしながら、戦後、中世からの伝統がある優れた都市計画のもとで、再び「緑の中の大都市」と呼ばれるドイツで12番目の街に成長しました。
現在、州都として政治、経済の中心であるばかりでなく、地理的特性を生かして道路、鉄道交通の要衝としての役割を果たしています。博物館、美術館、劇場、ギャラリーなど数多くの施設を有する文化の中心地でもあります。
産業は、自動車、航空機、電気機械、化学製品等の製造業が盛んで、世界最大級のメッセ(見本市)会場を有し、「工業製品の世界のショーウインドー」とも呼ばれています。
平成12年(2000年)には、ドイツで初のエキスポ(国際博覧会)が開催されました。
〔提供:ハノーバー市〕
提携の動機・経緯
昭和43年(1968年)、日独文化協定に基づく青少年交流日本代表団として、広島国際青少年協会総主事が広島市の大学生2人を含む若者130人を連れてハノーバーを訪問したことがきっかけとなって、広島市とハノーバー市の青少年の相互訪問が始まりました。この青少年交流の積み重ねが、後の姉妹都市提携への契機となり、昭和47年(1972年)に広島市長が初めてハノーバーを訪問、行政間でも人的交流が進んでいきました。こうした民間と行政の交流を通じて両市の友好関係が培われていき、提携への機運が熟し、昭和58年(1983年)5月27日、広島市長と市議会代表がハノーバー市において姉妹都市提携協定書に調印しました。
協定書には、「両市及びその市民は、それぞれの歴史の中で戦争の惨禍を体験し、今や両国の代表的都市として蘇った事実に鑑み、・・・世界平和の確立に向けて、ともに献身する必要性を認識し、今後一層、相互の尊敬、信頼及び理解を増進するため、広い分野で相互の交流の促進を図」っていくことが謳われています。
交流の経過
青少年交流団体による相互訪問事業は現在も継続しており、両市の交流の柱となっているほか、茶道交流も活発に行われています。このほか、相互の庭園整備(「ハノーバー庭園」と「広島園」)、ハノーバー消費財見本市への広島企業の出展、スポーツ交流団の相互訪問、親善の翼・市民訪問団の派遣、「’89海と島の博覧会ひろしま」へのハノーバー・ビアテントの出展、写真家グループによる合同展の開催などの交流を重ねてきました。
学術交流の分野では、広島市立大学とハノーバー専科大学の間で、平成9年(1997年)以降毎年、教員や学生の受入れ・派遣が行われています。
ハノーバー市は平和の推進にも大変積極的で、平成12年(2000年)に平和市長会議(旧世界平和連帯都市市長会議)理事会が、副会長都市でもあるハノーバー市において開催されたほか、毎年8月6日にはハノーバー市で平和記念式典が開催されています。
平成25年(2013年)、両市の姉妹都市提携は30周年を迎え、本市から代表団8名と市民訪問団7名がハノーバー市を訪問し、記念式典等へ出席しました。また、芸術団10名はサマーフェスティバルに参加し、茶道や書道を紹介しました。一方、ハノーバー市からは、代表団10名が来広し、「ハノーバーの日」記念イベントに参加し、平和記念式典に参列しました。また、市民訪問団28名が来広した際には茶道の体験や広島日独協会との交流をしました。
さらに、平成27年(2015年)、ハノーバー市長が来広し、被爆70周年の平和記念式典に参列しました。
こうして幅広い分野で、様々な民間の団体やグループと行政がそれぞれバランスよく交流を進めています。
過去の姉妹・友好都市の日記念イベントの開催状況は、こちらをご覧ください。
関係先リンク
◇ 青少年国際平和未来会議(一般社団法人広島国際青少年協会) https://hiroshimayouth.org/active/kokusai/